久々日記〜テレビ編〜
2001年2月6日ほんとに、わたしNHKの番組って好きなんだけど、
昨日も感動的なプログラムに遭遇してしまったので
かきとめておこうっと。
衛星第二
9:30 p.m. 欧米食材紀行〜イギリス〜
とかく不味い不味いと言われているイギリスの食べ物。(故、森瑶子氏の本を読む限りでは決してそうは思わないのだけど)
イギリス映画に出てくる食事のシーンを見る限り、
たしかにどれも不味そう・・・
(「さらば青春の光」・・・最悪!
「時計じかけのオレンジ」・・・あののびきったスパゲティ!!・・・etc.)
いやしかし、かの局で紹介するわけだから、これで映像においても
「美味しそう!」と感動できるかも・・・と期待を持ってみた。
処は、イーストエンド。
たくさんの魚が水揚or運ばれてくる、いわばロンドンの築地市場、といったところでしょうか?
そこで人々に愛され珍重されているのは、うなぎ料理。
"なんとかeel & mush"
の看板がズラリと立ち並ぶ下町っぽい街並み。
そのあたりは、築地というより月島もんじゃのよう・・
内臓と骨を取り、ブツ切りしたうなぎを茹でる。
それをゼリーで固めたもの。
先のうなぎにパセリと小麦粉で作ったソースをかけて、皿に盛り、そこにパイ、マッシュポテトをなすりつけたもの。
グレービーソースであえたうなぎをパイ皮に包んで焼いたもの。
その三種がメイン。
皆、そのいずれかを食べに、行列を作っている・・・。
・・・うーーーん・・・
い、色が・・・ぐろい、まずそー・・・
なんていうんでしょう、
こう、「目で楽しむ」とゆーのは別に日本だけのものじゃないと思うんだけど・・・イギリス人には全くそれは皆無のよう、こと食べ物に関しては・・・
大英帝国の名残たっぷりの重厚な建物や、お店の看板は、美しく、それはもうセンスのよいものなのに・・・だから美的感覚がないわけでは決してないと思うのだけど、食に対する意識が、なんかこう・・・伝わってこないのね、
それでいいのか?
そんなものをお客さんに出してしまうのか?
お金取るのにーーーー!!
でもしかし、そこに集う人々はそれがいい、といって食べにくる。
しかし、胡椒だの、塩だの、ナンプラーorしょっつるもどき(グレービーソースにしてはさらさらしている)をどばどばかける。
普通、そーゆーのことっておいしいお料理にはあまりしないように思うのだけど・・・それがそこでの
常識というものなのか、人々は皆、一口も食べない前から、卓上にある調味料をそ、そんなに?!と思うほどかけている・・・。
最新の人気のレストラン(どうもイタリアンのよう)でも、その伝統のうなぎ料理をアレンジしたメニューがあったけど、トマトやフレッシュハーブをふんだんに使った彩り豊かな点は、よかった・・・
ただしそれも途中までで、最後の仕上げで緑色の
アイオリソースとやらを混ぜてしまうのだ・・・
食欲をそそるような色がぁーーー
それで、全て台無しーーー!!
やはり、こう一年中、どんよりした曇った空ばかり眺めているから、お料理の色もそうなってしまうのだろうか???
ピックアップされていたものが悪かったのかもしれないけど・・・
うなぎって蒲焼大好きだけど、でもグロいじゃない・・・
今回の番組においては、「映像でも美味しそうなイギリスの食事」というものは
残念ながら見ることはできませんでした(^^;
☆ラムチョップとか、シェパーズパイとか・・・美味しそうって思うんだけどなぁ・・・。
10:00 p.m. わが心の旅〜父よ、ニューヨークの悲しみよ〜 壇ふみ
壇ふみ、と聞くと、わたしの頭の中では「ああ、火宅のおとうさんの娘・・・」と浮かんでしまう。
読んだことないくせに、「火宅の人」はこういうストーリーというのをどこで聞いたのやら・・・子供の頃、両親から小説家というのは自分の経験を本にしている、そしてその経験は、非道なものである、川端康成しかり、壇一雄しかり・・・」といったような教育を受けたような記憶がある(今思えば、ずいぶんと偏見に充ちていると思うのだけど・・・)
その小説家の娘である壇ふみ自身、父親の小説を全部読んだことがなかった、という。
ねっころがって読む、というものでもないし、いつも途中でやめてしまったらしい。
壇ふみが、21歳の時、病床で書き終えた「火宅の人」を「読みなさい」と手渡されそうだ。
「面白いの?」と問う娘に父はただ「読みなさい」とだけ言った・・・。
それから数十年の歳月が過ぎ、どうしても読めなかった、妻子を捨て、愛人との生活へふけり、やがてはその愛人にも疲れ、一人ニューヨークへ旅だった章・・・それを読むために、父が滞在したホテル(アールホテル、現在は別の名前・・なんだっけ?)そして、父が小説の中では飛び降り自殺を試みようとしたかつての部屋へ、彼女も滞在し、小説を読み上げる・・・。
途中、昔、そのホテルから家族にあてた手紙の中にいる父は、やさしくて、子供を愛していて、寂しがりや
でも小説の中にいる父と思われる人物”桂”は、全くの別人・・・
自分は、もしかしたら父の一番ふれてほしくない部分にふれようとしているのではないか・・・といった葛藤を持つ。
父は自らの命を絶つような人ではない・・・・。
続々とわかった真実。
大學で太宰治と親しかった父は、新進作家となった
太宰に憧れを持ち、自分もああなりたいと思っていた、太宰の死をも自分も追いかけていかなくては、と思った様子・・・アルコールに溺れながら、
太宰治の名を叫び、本当に七階の窓から身を投げようとしたのを必死に止めた、という方の証言まで出てきてしまって・・・
旅の終わり、いつも父は本当にやりたいことが出来なくてかわいそう、と思っていたけど、本当は違ったんだ、人生を謳歌した、本当にうらやましい人だったんだな・・・と語る娘。
ニューヨークの、都会の真中なのに、リスの飛び回る公園や、車でわずか40分の距離なのに、澄んだ湖と地平線の彼方まで広がる空の見える場所がある
・・・といった環境の素晴らしさに、あーやっぱりアメリカは広大なのだなーとあらためて感じたのでありました。
日本でそんな場所ったら、人がうじゃうじゃ・・・
しかーし、ゴミ一つおちてないは、
人はいないは・・・・
新宿から、たとえば青梅までったってねぇ、
遠いしぃ・・・都会の中の自然とは呼べないしぃ・・・
まぁいろいろ考えさせられましたわ、
そして、
ニューヨークにいきたぁーい!!
昨日も感動的なプログラムに遭遇してしまったので
かきとめておこうっと。
衛星第二
9:30 p.m. 欧米食材紀行〜イギリス〜
とかく不味い不味いと言われているイギリスの食べ物。(故、森瑶子氏の本を読む限りでは決してそうは思わないのだけど)
イギリス映画に出てくる食事のシーンを見る限り、
たしかにどれも不味そう・・・
(「さらば青春の光」・・・最悪!
「時計じかけのオレンジ」・・・あののびきったスパゲティ!!・・・etc.)
いやしかし、かの局で紹介するわけだから、これで映像においても
「美味しそう!」と感動できるかも・・・と期待を持ってみた。
処は、イーストエンド。
たくさんの魚が水揚or運ばれてくる、いわばロンドンの築地市場、といったところでしょうか?
そこで人々に愛され珍重されているのは、うなぎ料理。
"なんとかeel & mush"
の看板がズラリと立ち並ぶ下町っぽい街並み。
そのあたりは、築地というより月島もんじゃのよう・・
内臓と骨を取り、ブツ切りしたうなぎを茹でる。
それをゼリーで固めたもの。
先のうなぎにパセリと小麦粉で作ったソースをかけて、皿に盛り、そこにパイ、マッシュポテトをなすりつけたもの。
グレービーソースであえたうなぎをパイ皮に包んで焼いたもの。
その三種がメイン。
皆、そのいずれかを食べに、行列を作っている・・・。
・・・うーーーん・・・
い、色が・・・ぐろい、まずそー・・・
なんていうんでしょう、
こう、「目で楽しむ」とゆーのは別に日本だけのものじゃないと思うんだけど・・・イギリス人には全くそれは皆無のよう、こと食べ物に関しては・・・
大英帝国の名残たっぷりの重厚な建物や、お店の看板は、美しく、それはもうセンスのよいものなのに・・・だから美的感覚がないわけでは決してないと思うのだけど、食に対する意識が、なんかこう・・・伝わってこないのね、
それでいいのか?
そんなものをお客さんに出してしまうのか?
お金取るのにーーーー!!
でもしかし、そこに集う人々はそれがいい、といって食べにくる。
しかし、胡椒だの、塩だの、ナンプラーorしょっつるもどき(グレービーソースにしてはさらさらしている)をどばどばかける。
普通、そーゆーのことっておいしいお料理にはあまりしないように思うのだけど・・・それがそこでの
常識というものなのか、人々は皆、一口も食べない前から、卓上にある調味料をそ、そんなに?!と思うほどかけている・・・。
最新の人気のレストラン(どうもイタリアンのよう)でも、その伝統のうなぎ料理をアレンジしたメニューがあったけど、トマトやフレッシュハーブをふんだんに使った彩り豊かな点は、よかった・・・
ただしそれも途中までで、最後の仕上げで緑色の
アイオリソースとやらを混ぜてしまうのだ・・・
食欲をそそるような色がぁーーー
それで、全て台無しーーー!!
やはり、こう一年中、どんよりした曇った空ばかり眺めているから、お料理の色もそうなってしまうのだろうか???
ピックアップされていたものが悪かったのかもしれないけど・・・
うなぎって蒲焼大好きだけど、でもグロいじゃない・・・
今回の番組においては、「映像でも美味しそうなイギリスの食事」というものは
残念ながら見ることはできませんでした(^^;
☆ラムチョップとか、シェパーズパイとか・・・美味しそうって思うんだけどなぁ・・・。
10:00 p.m. わが心の旅〜父よ、ニューヨークの悲しみよ〜 壇ふみ
壇ふみ、と聞くと、わたしの頭の中では「ああ、火宅のおとうさんの娘・・・」と浮かんでしまう。
読んだことないくせに、「火宅の人」はこういうストーリーというのをどこで聞いたのやら・・・子供の頃、両親から小説家というのは自分の経験を本にしている、そしてその経験は、非道なものである、川端康成しかり、壇一雄しかり・・・」といったような教育を受けたような記憶がある(今思えば、ずいぶんと偏見に充ちていると思うのだけど・・・)
その小説家の娘である壇ふみ自身、父親の小説を全部読んだことがなかった、という。
ねっころがって読む、というものでもないし、いつも途中でやめてしまったらしい。
壇ふみが、21歳の時、病床で書き終えた「火宅の人」を「読みなさい」と手渡されそうだ。
「面白いの?」と問う娘に父はただ「読みなさい」とだけ言った・・・。
それから数十年の歳月が過ぎ、どうしても読めなかった、妻子を捨て、愛人との生活へふけり、やがてはその愛人にも疲れ、一人ニューヨークへ旅だった章・・・それを読むために、父が滞在したホテル(アールホテル、現在は別の名前・・なんだっけ?)そして、父が小説の中では飛び降り自殺を試みようとしたかつての部屋へ、彼女も滞在し、小説を読み上げる・・・。
途中、昔、そのホテルから家族にあてた手紙の中にいる父は、やさしくて、子供を愛していて、寂しがりや
でも小説の中にいる父と思われる人物”桂”は、全くの別人・・・
自分は、もしかしたら父の一番ふれてほしくない部分にふれようとしているのではないか・・・といった葛藤を持つ。
父は自らの命を絶つような人ではない・・・・。
続々とわかった真実。
大學で太宰治と親しかった父は、新進作家となった
太宰に憧れを持ち、自分もああなりたいと思っていた、太宰の死をも自分も追いかけていかなくては、と思った様子・・・アルコールに溺れながら、
太宰治の名を叫び、本当に七階の窓から身を投げようとしたのを必死に止めた、という方の証言まで出てきてしまって・・・
旅の終わり、いつも父は本当にやりたいことが出来なくてかわいそう、と思っていたけど、本当は違ったんだ、人生を謳歌した、本当にうらやましい人だったんだな・・・と語る娘。
ニューヨークの、都会の真中なのに、リスの飛び回る公園や、車でわずか40分の距離なのに、澄んだ湖と地平線の彼方まで広がる空の見える場所がある
・・・といった環境の素晴らしさに、あーやっぱりアメリカは広大なのだなーとあらためて感じたのでありました。
日本でそんな場所ったら、人がうじゃうじゃ・・・
しかーし、ゴミ一つおちてないは、
人はいないは・・・・
新宿から、たとえば青梅までったってねぇ、
遠いしぃ・・・都会の中の自然とは呼べないしぃ・・・
まぁいろいろ考えさせられましたわ、
そして、
ニューヨークにいきたぁーい!!
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