平成中村座「法界坊」観劇記
2000年11月5日初日 11月3日 金曜日 文化の日 4:30開演
時は平成、浅草は隅田川沿いに突如現れた芝居小屋。
江戸時代の芝居見物はさもありなんといった風情にどぉぉーっぷり
つかってきやした。
いい、いい、すっっごくいい!!
金のためなら盗みにコロシなんでもやります、惚れた女はてごめする、
いうこときかなきゃ殺してしまえのとんでもない坊さんを演ずるは勘九郎。
いやー笑った、笑った、でもって、勘九郎ってなんてセクシーなの!
私的には陳健一やアラーキーと同じ感覚なセクシー(なんのこっちゃ)
歌舞伎というと一般にかたくるしいもの、わかりにくい、あるいはわかん
ないといった感があるようだけど、違うよ、それって、全然違う、本来芝
居は楽しむもの、笑っているうちにいつしかお客も舞台と一体化している
ような気になってくる・・そんな芝居の原点かいまみた・・どころか充分
体感させてもらった。
快感!
これっていのうえ歌舞伎?(by劇団☆新感線)とは一緒に行った友人の
弁。ほんと、一体これってなに?!
小劇団な匂いがそこかしこに漂っているの。
そもそも”芝居とはそれを観るものにとって、観に行こうと意識された最
初の瞬間からはじまっているのだ”という如月小春氏の名言そのままに、
浅草駅につき、墨田公演まっしぐら、途中不安になり商店の心優しいおじ
さまに道を聞くこと二回、青いテントの立ち並ぶ隅田川を横目でみやりな
がら、小走り、おお、平成中村座ののぼりが見えてきた、人々がたむろい
騒ぐ向こう、小屋といってもかなり立派な芝居小屋、きゃあやっと着いた
わ、・・・もうここまででも、わたしの中では芝居を体感したような感覚。
さらにさらに・・・はいどうぞ、ビニール袋?あら土足厳禁、よりによっ
て編み上げブーツ、ようやく靴を脱ぐとさむえ姿(?)の案内の人が席に
誘導してくれる・・・と、すっごいいい席じゃん!私の中では桟敷席!
なんでも役者の後頭部しか見えない・・・っつう噂らしいけど、勘九郎か
らは貧乏人呼ばわりされた通り、一番安い「桜席」(それでも金八千円也
!)
だけど「芝居が開く前も、幕間でも、定式幕の内側に席があるわけですか
ら・・・(中略)・・・普段は決して見ることのできない、数々の舞台裏
を目の当たりにすることができる」とプログラムにも書いてある通りのめ
ちゃめちゃおいしい席だったのだ!!
(幕間の大道具さんには、え?そこって安い席なの?高いんじゃないの?
なんて聞かれた)
裏で汗ふいてる勘九郎に頭下げられるは、芝居中の勘九郎の視線にはそこ
にすわった誰もが「私を見ている」
うけた、騒いだ、ミーハー根性丸出し。
すごいうちら「さくら」じゃん!
そういう意味での「桜席」でもあったのね、
改めてプログラム読んでみたらそこんとこも書いてあった。
「・・・あたかも満開の(吉野)桜を花見しているかのごとき風情がある
ことから、さらには、そこに座する人達の賑わいぶりを華やかな桜に見立
てての呼称であったともいわれています」
この日の体験ってすごい貴重なもの・・・今まで生きてきた中で、これから
生きるであろう中において、そうめったにお目にかかれない・・・芝居自体
すごく面白かったんだけど、「桜席」がさらにそれを倍増!
次回またこういった舞台があったとしたら絶対また「桜席」だーーーーっ!!
もしかして夢でも見ていたんじゃないの?どうかすれば薄まってしまいそう
なほど、こぼれはしないかと何かたくさんたくさんつまった液体、もしくは
宝箱・・昨年、いまはなき渋谷ジアンジアンにおいての最初で最後の美輪さ
んのシャンソンLIVEへ行った時のように、これは夢じゃないんだよ、現
実よ、と頬をつねりながら、一晩寝て醒めたなら、やっぱり夢のよう・・・・。
”絶対的に あたし は あなた ではあり得ないし、いま は さっき
には戻れない。”
都市劇場の肌合いは夜の水(如月小春のフィールドノート)ならぬ
仮設劇場の肌合いは隅田川の水・・・ああ、長い・・
season is passed by I getdownn I getdown I getup・・・
by yes
時は平成、浅草は隅田川沿いに突如現れた芝居小屋。
江戸時代の芝居見物はさもありなんといった風情にどぉぉーっぷり
つかってきやした。
いい、いい、すっっごくいい!!
金のためなら盗みにコロシなんでもやります、惚れた女はてごめする、
いうこときかなきゃ殺してしまえのとんでもない坊さんを演ずるは勘九郎。
いやー笑った、笑った、でもって、勘九郎ってなんてセクシーなの!
私的には陳健一やアラーキーと同じ感覚なセクシー(なんのこっちゃ)
歌舞伎というと一般にかたくるしいもの、わかりにくい、あるいはわかん
ないといった感があるようだけど、違うよ、それって、全然違う、本来芝
居は楽しむもの、笑っているうちにいつしかお客も舞台と一体化している
ような気になってくる・・そんな芝居の原点かいまみた・・どころか充分
体感させてもらった。
快感!
これっていのうえ歌舞伎?(by劇団☆新感線)とは一緒に行った友人の
弁。ほんと、一体これってなに?!
小劇団な匂いがそこかしこに漂っているの。
そもそも”芝居とはそれを観るものにとって、観に行こうと意識された最
初の瞬間からはじまっているのだ”という如月小春氏の名言そのままに、
浅草駅につき、墨田公演まっしぐら、途中不安になり商店の心優しいおじ
さまに道を聞くこと二回、青いテントの立ち並ぶ隅田川を横目でみやりな
がら、小走り、おお、平成中村座ののぼりが見えてきた、人々がたむろい
騒ぐ向こう、小屋といってもかなり立派な芝居小屋、きゃあやっと着いた
わ、・・・もうここまででも、わたしの中では芝居を体感したような感覚。
さらにさらに・・・はいどうぞ、ビニール袋?あら土足厳禁、よりによっ
て編み上げブーツ、ようやく靴を脱ぐとさむえ姿(?)の案内の人が席に
誘導してくれる・・・と、すっごいいい席じゃん!私の中では桟敷席!
なんでも役者の後頭部しか見えない・・・っつう噂らしいけど、勘九郎か
らは貧乏人呼ばわりされた通り、一番安い「桜席」(それでも金八千円也
!)
だけど「芝居が開く前も、幕間でも、定式幕の内側に席があるわけですか
ら・・・(中略)・・・普段は決して見ることのできない、数々の舞台裏
を目の当たりにすることができる」とプログラムにも書いてある通りのめ
ちゃめちゃおいしい席だったのだ!!
(幕間の大道具さんには、え?そこって安い席なの?高いんじゃないの?
なんて聞かれた)
裏で汗ふいてる勘九郎に頭下げられるは、芝居中の勘九郎の視線にはそこ
にすわった誰もが「私を見ている」
うけた、騒いだ、ミーハー根性丸出し。
すごいうちら「さくら」じゃん!
そういう意味での「桜席」でもあったのね、
改めてプログラム読んでみたらそこんとこも書いてあった。
「・・・あたかも満開の(吉野)桜を花見しているかのごとき風情がある
ことから、さらには、そこに座する人達の賑わいぶりを華やかな桜に見立
てての呼称であったともいわれています」
この日の体験ってすごい貴重なもの・・・今まで生きてきた中で、これから
生きるであろう中において、そうめったにお目にかかれない・・・芝居自体
すごく面白かったんだけど、「桜席」がさらにそれを倍増!
次回またこういった舞台があったとしたら絶対また「桜席」だーーーーっ!!
もしかして夢でも見ていたんじゃないの?どうかすれば薄まってしまいそう
なほど、こぼれはしないかと何かたくさんたくさんつまった液体、もしくは
宝箱・・昨年、いまはなき渋谷ジアンジアンにおいての最初で最後の美輪さ
んのシャンソンLIVEへ行った時のように、これは夢じゃないんだよ、現
実よ、と頬をつねりながら、一晩寝て醒めたなら、やっぱり夢のよう・・・・。
”絶対的に あたし は あなた ではあり得ないし、いま は さっき
には戻れない。”
都市劇場の肌合いは夜の水(如月小春のフィールドノート)ならぬ
仮設劇場の肌合いは隅田川の水・・・ああ、長い・・
season is passed by I getdownn I getdown I getup・・・
by yes
コメント